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僕には縁がないと思っていた証券マンとの付き合い


「株が下がりました」。

2016年6月の某日、担当の証券マンから電話が来た。

僕は本来、株には手を出さないと決めていた。しかし、運用していた債券の償還日が来る頃に、いつも証券マンから次の資産運用の提案が来る。

その時に勧められたのが、某国の会社の株だった。

この証券マンが属している大手証券会社との付き合いが始まったのは、4年前の2012年の初春〜初夏の間に遡る。


証券会社との付き合いなど無縁だった僕は、母親からの相続により「償還」という言葉の意味もわからないまま、少額ではあるが生前に両親が運用していた証券会社の口座にある資産を引き継いだ。

当時、相続の手続き事項が沢山あった中の「証券会社」は、その1つだった。母がいなくなる前に既に父も、この世から去っていた為、母が残してくれていた「ここに電話する」というメモが唯一の手掛かりだった。

そんな嵐のような日々が過ぎる中、当時の担当者に電話をして相続手続きを開始したことが、証券マン(証券会社)と付き合うキッカケとなった。


カネがカネを生むという事を体感した

最初の証券マンは、定年間際のバブルの中を突き抜けてきた世代だった。株屋の業界用語はもちろん、世界情勢や金利・株価・円高や円安といった事にも、あまり関心がなかった僕は、バブルさんが説明してくれた意味の半分も理解できないまま、まな板の鯉状態だった。

「債券の償還日が来て、新しい商品を説明されて、又その商品に乗り換える・・・」。自宅の郵便受けに投函されている証券会社からの郵便物を開封して、その中の取引報告書を見ると◯月◯日にクーポン(利息)が振り込まれるのが書いてあるので、「お! 23,117円か」と確認するだけの、そんな単純なやり取りを2015年まで繰り返していた。

まな板の鯉は鯉なりで、わかったことは「債券を買うと年に2回ほど、カネが口座に振り込まれる」ということ。「これが、カネにカネを産んでもらうことなんだ」ということも漠然とだが体感した。銀行の普通預金口座に入ってくる金利も同じだけど、債券の方が金額が多い。

僕の基本スタンスは「母が残してくれた(命の)資産が赤字にならないように維持すること」ただ、それだけ。振り込まれたカネは、両親が住んでいた家の維持費に全額、回しているので正直、助かっている。もっとも償還日に元本割れをしていたら投資に失敗した事になるので喜べないけれど、こればかりは先が読めないので最後は運頼みとなってしまう。


最終目標は、インターネット証券を利用できるまでになることだ。